今日は、猫の飼い方を少しだけ反省した時の事をお話しします。
そのきっかけは獣医さんの一言でした。
それは、
「我慢強い子だったからね。」
と言う言葉
詳しくお話ししましょう。
ペットの飼い方を反省した瞬間
マロ(我が家の猫)は飼い主の私も尊敬するほど、とても我慢強い子でした。
先住猫のソラにいじめられても怯むことなく、嫌がる様子もなく、じっと耐える子でした。
これはその時の様子。
何があってもこのように黙って我慢しています。
そんなマロちゃん。
2020年夏に天国へ旅立ちました。
私は点滴の器具を動物病院へ返却し、マロが亡くなった事を報告し、最期の様子を私は先生に報告しました。
その時のやり取りがこちら。
私
「苦しむ様子もなく、すーっと自然な感じで息を引き取っていきました。」
先生
その一言で私はハッとしました。
確かに、注射の時も暴れる事は無いし、自宅での点滴もさせてくれてたし、何より苦しかったであろう最後の数カ月も苦しそうな様子を全く見せなかった子です。
毎日一緒にいたから忘れていたけれど、この子は痛くても苦しくても我慢する子だったのです。
闘病中の数カ月、命を引き取る前の数日、もしかしたらとても苦しかったのかもしれません。
それを私は、苦しむ様子もなく…と受け止めてしまった。
私はマロの事を分かってやれていなかったのだろうか。
自分を責める気持ちと、後悔と、反省の気持ちがこみ上げてきました。
反省(後悔)から立ち直ったきっかけ
私はマロのアルバムを作りました。
妻と一緒にアルバムを見ていた時、妻からこう言われました。
「こんなに愛されて、マロちゃんは幸せだね。」
その一言が私の救いになりました。
私はマロとの時間を思い出しました。
楽しかった事ばかりでした。
マロはいつも布団の足の上で寝ていた事(重かった)。
私がケーキを食べている時はずっと見ていた事。
我が家に来た日の事。
それらを思い出すと、とても幸せな気持ちになりました。
自分はちゃんとあの子を愛していた。
病院にも通い、自宅で点滴も行い、ごはんも病院食に変え、出来る限りのことをしてやっていました。
そう思えると今度は幸せと感謝の混じった涙が込み上げてきました。
笑って過ごせて良かった
マロが旅立つまでの数カ月、私たちは笑って過ごしました。
病院へ行くたびに気持ちは沈んでいましたが、帰ってからは笑顔で過ごすことが出来たと思います。
むしろ、私がマロを心配して暗い表情でいたら、マロにとって良くなかったかもしれません。
私達夫婦が楽しそうに過ごすことが、マロにとっては幸せだったかもしれません。
少しずつですが、そう思えるようになってきました。
マロには、ウチに来て幸せだったと感じていて欲しいです。
でも彼は猫。
もう私たちの事は忘れているかもしれません。
それでも良い。
その方が良い。
それくらい、天国での暮らしが楽しいものであってほしいです。
今私たちはマロの作品に囲まれて暮らしています。
マロちゃんのブランケット。
こんなお仕事をさせて頂いていることに、責任感と感謝の気持ちでいっぱいです。
マロちゃん、ありがとう。