私は10年以上前に愛犬を亡くし、そして昨年夏に猫を亡くしました。
それ以来この問いかけが時々頭に浮かびます。
ある人はこう言ってくれます。
「幸せな子たちだったね。」
でも、こうも言われます。
「我慢強い猫だったから、飼い主に苦しさを見せなかったんだね。」
私を慰めるために言ってくれたのは分かっていますが、マロ(猫)は本当は辛かったのではないかと自分を責めてしまう言葉でもありました。
マロは保護猫だったので、
『もっといい里親に巡り会っていれば…』
とさえ思う事もあります。
お客様からも同様のご相談を頂きますので、本日は、
という自問自答のお話しをさせて頂きます。
幸せだったと信じる事が大事
私がたどり着いた答えは、
という事です。
彼らは私を信じ、ごはんを貰い、私と同じ部屋で過ごし、膝で寛ぎ…、このように私との世界しか知りません。
彼らが幸せになれるよう、たくさん努力してきたはずです。
それを私が「幸せにしてあげられたかどうか、不安だ」と言えば、彼らこそが不安になるでしょう。
仮に足りない部分があったとしても、自信をもって
あの子たちは幸せだったのだ!
と思うようにしています。
そうすると、天国のペットたちも喜んでくれるような気がします。
不安になる理由
でも、時間が経てばまた不安になることもあります。
飼い主としての自信を無くす瞬間です。
それにはきっかけがあります。
これは動物病院で言われた言葉です。
とても良い先生で、マロをほめてくれたのだと思います。
でもこの時だけは、私には辛い言葉として届きました。
私はこう感じてしまいました。
マロは、我慢していたんだ。
あの子は本当は辛かったのだ。
私が飼い主だったから、その気持ち(痛み)を分かってあげられなかった。
マロは動物保護センターの里親募集で我が家に受け入れました。
とても良い子で私も幸せな時間を過ごしました。
でも、保護センターには他にもたくさんの里親希望者さんが集まります。
私より猫の飼い方に慣れた人もいますし、裕福な人もいて、治療費も沢山かけることが出来ます。
そういう里親さんのもとに貰われた方が幸せだったのかな?と思う事があります。
そんな気分になった時は、自分にこう問いかけます。
「では、他の人にマロを取られても良いの?」
もちろんNOです。
その気持ちが、
「あの子は幸せだったのだ。」
と、自分を言い聞かせる原動力になっています。
飼い主として出来る最後の責任
保護猫を飼う時にこう言われました。
「誰にも愛されずに死んでいく犬猫がいる。この子は里親が見つかって本当に良かった。」
ペットが死んだ時、泣いてくれる飼い主がいる事はペットにとってとても幸せなことだそうです。
皆さんはきっとたくさん泣いてきたことでしょう。
涙も出ないという人も、心の中で沢山悲しんでいるはずです。
「その悲しみこそが、ペット達の幸せだ」と言う考え方もあるのだと知りました。
そして、私は飼い主として最後の責任があると思います。
それは、ペット達と一緒に過ごしてきた時間を大事にすることだと思います。
後悔もあるでしょう。自分を責める事もあるかもしれません。
でも、そんな事より大事なことは、一緒に過ごしてきた時間を大事にすること。
楽しかった思い出や、何気ない日常を、幸せだったと感じる事です。
飼い主である私たちがそう思ってあげる事で、逝ってしまった子たちは幸せになれると思います。
Aさま:
クッションありがとうございました。後悔と自分を責める日々でしたが、たくさん話しを聞いて頂き(迷惑承知ですみません)、本当に救われました。三浅さんの、「後悔は何をしても残る」という言葉で、どこかで自分を納得させなきゃと思っています。これからは思い出と一緒にクッション大事にしますね。

ご注文商品:クッション
デザイン画が直ぐに届き、愛犬チョビにそっくりなので感動しました。
二度目の感動は、出来上がったクッションが丁寧に包装されており、出来栄えは本当に温かい愛犬が帰ってきたような感じで思わずジーンしてしましました。
これは三浅様が本当に心をこめて制作していただいたおかげだと思いました。
この愛犬のクッションは一生に思いでになります。
本当にありがとうございました。
愛犬を亡く悲しんでいる方がおれば,ぜひ紹介したいと思います。

ご注文商品:クッション
本日もお客様の相談に乗りながら、
糸を編み、
製作に励んでいます。
糸を編んで作るニットクッション