余命わずかなペットの愛し方

猫の余命、あと1カ月。

我が家の猫、マロに病気が見つかり、医師から告げられた残りの命です。

私はこんな方法で愛情を注いでいました。

自分が悲しくならない事

一般的に良く言われている事ですし、一緒に暮らしていると分かる事ですが、ペットは飼い主の気持ちを察します。

私が悲しい思いをしていると、マロもそれを察して不安そうな顔をします。

だから、私はマロに対しては明るくふるまっていました。

 

いつも笑顔で、自宅点滴も笑いながら、点滴の液がこぼれてもお薬が飲めなくても無理せず接するよう努力しました。

 

私の近くに来ない時は、そっとしておきました。

抱っこしてあげたくても、私の方から無理に抱きかかえる事もしませんでした。

日常を続ける

ペットのおやつ

これは少し元気な日の写真。

我が家の猫たちは、人の食べ物にあまり興味がありませんでした。

私がケーキを食べていても興味なし。

 

食欲がなかったマロ。

内臓に病気があったマロは、食べる事が出来ませんでした。

鰹節等をあげると食べたそうにはしますが、でもやっぱり食べませんでした。

だから変わった物を与えるのは止めました。

 

一度、ちゅーるをあげました。

最初だけ、すごい勢いで食べましたがすぐに食べるのをやめてしまいました。

それくらい「食べる」という事が内臓に負担を与えていたのか、苦しかったのか、理由は分かりませんが、それ以来ちゅーるも食べなくなりました。

 

それからは、あまり変わった物を与えないようにしました。

食べたくても食べられないという、苦しみを生むだけに思えたので…。

甘えさせてあげる

マロは甘えるのが好きで、膝の上によく乗る子でした。

この写真は私の膝に上るのも難しくなった頃、それでもよじ登ろうとする時の表情です。

私は軽くなったマロを抱えて、膝の上に乗せてやりました。

その時に膝の上で撮った写真です。

 

「抱っこして」と言ってくるマロ。

ひざに伝わる温もりが今でも思い出されます。

暮らしやすくする

押入れの上の段に飛び乗れなくなった時は、下の段に布団を用意しました。

階段の上にあったトイレを、1つ1階に移動させました。

なるべく外出は避け、休みの日には一日中一緒に過ごしました。

 

30センチほどの高さのソファにさえ上がれなくなったので、マロ専用のベッドを用意しました。

後にこのベッドはマロの遺体を安置するお布団になり、一緒に火葬してもらいました。

 

写真を撮りました

愛犬ムックが亡くなってから気付いたのですが、ペットの写真はたくさんあれど、自分と一緒に撮った写真が少なかったので、マロと写真を撮りました。

猫

小さくなってしまって、表情も少し硬いですが、思い出の大切な写真です。

この写真を撮った翌日、マロは天国へと旅立っていきました。

 

十分愛したと、自分に言い聞かせる

どれだけ尽くしても、後悔は残ります。

もっとあれをして、これもしてあげれば良かったと…

 

でも、それを悔やんでいると、マロはどう思うでしょうか。

「自分はたくさん愛してもらったよ」

「とても幸せだったよ」

 

「なのに、もっと他に良い事があったの?」

 

そんな風に、彼が思ってしまったら私は悲しい。

 

だから自分に言い聞かせました。

やれることは全てやった。

自分の精いっぱいの気持ちで、愛していた時間だった。

 

最後に私がそう思う事が、マロへの愛し方だと思っています。

 

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マロと、愛犬ムックがくれた、私の仕事

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